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荒川修作とは誰?経歴やプロフィールは?妻嫁や子供など家族や死因や棺桶についても!

本当に?!と言えるほどのエピソードや、名言を持つ「荒川修作」さん。

多彩な才能をお持ちの方で、様々な美術作品や、書籍を出版して周りを驚かせました。

「荒川修作」さんとは、一体どんな人物なのでしょうか?

今回は経歴プロフィールを中心に、妻(嫁)子供などの家族について、さらに死因棺桶シリーズについて調査しました。

それでは詳しく見ていきましょう。

荒川修作とは誰?経歴やプロフィールは?

まずは荒川修作とはいったい誰で何者なのか?

経歴とプロフィールから見ていきましょう。

  • 本名 荒川修作
  • 生年月日 1936年7月6日
  • 出生地 愛知県名古屋市

うどん屋を営む家庭に生まれました。

家族に美術関係の人はいませんでしたが、隣人の町医者の妻が芸術家で、「医者になりたければ、デッサンの勉強をしろ」と言われ、5歳から絵を習うようになったそうです。

高校は愛知県立旭丘高等学校美術科を卒業しました。

その後、武蔵野美術学校に行くも3週間ほどで中退

20歳の頃には深刻な鬱を経験する事となりました。

その後、美術の腕を活かし、1958年に読売アンデバンダン展に初出品をし、1961年には渡米し、そのままニューヨークに定住する事となりました。

渡米後は、マドリン・ギンスと出逢い、1962年頃から共同制作を始め、1970年にヴェネツィア・ビエンナーレで代表作となる「意味のメカニズム」を発表。

1972年にそれを見た物理学者「ヴァルナー・ハイゼンベルク」から絶賛された事で、マックス・ブランク研究所に招待を受けました。

同年には、ミュンヘンオリンピックのポスターのデザインを手がけました。

1982年には、紺綬褒章を受章し、1986年にフランス文芸シュヴァリエ勲章受章、2003年に紫綬章受章など、日本国内だけでなく、国外でも多彩な才能が評価される事となりました。

1997年には日本人として初めてとなる、グッゲンハイム美術館で初の個展を開催しました。

初期には、棺桶に入ったような奇怪なオブジェを作っていましたが、渡米してからは、画面に図形や文字、矢印などを書き込む「図形絵画」と呼ばれる作品を制作しています。

近年は、人間の自律的な行動の環境に、直接影響を与える庭園や建物などを建設する活動が多くありました。

1994年に奈義町現代美術館に、磯崎新との共同制作で「偏在の場・奈義の龍安寺・建設する身体」を制作し、1995年には岐阜県にテーマパークの「養老天命反転地」を建設。

公園の特徴的な構造でけが人が続出したものの、荒川さんは「案外少ないな」と平然とされていたそうです。

テレビや雑誌などの出演も少なくなく、NHK教育番組「課外授業ようこそ先輩」に出演した際には、本人の記憶違いで、本来なら卒業校で撮影されるものが、別の学校で撮影がされたそうです。

それに対し局に批判が殺到したものの、「非難する方はおかしい。私は自分の名前も良く忘れます」と言われていたそうです。

2010年5月9日に、73歳という若さでニューヨーク市内の病院で死去しました。

 

プロフィールでもあるように、荒川修作さんはうそでしょ!というエピソードを多数もっており、いくつかご紹介します。

・芸大の授業にゲストで講演を行った際、「おまえたち、この建物を爆破しろ!」といきなり投げかけたそう。

・主治医に対し、「ぼくの医者はひどいやつで、全然話にならん。最後に、お前医者やめろよ。と言ってやった」そうで、その後本当に医師免許証を返還し、今は別の仕事で有名になっているそうです。

・精神科医に対し、「精神の無い時代に精神科医だと?!」と怒鳴ったそうです。

まだまだありますが、こんな事言われたら、目が点になっちゃいますよね。




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